中川鉄工所 創業
中川興吉が長男・興市と共に金沢市茨木町で創業。興吉の技術は興市をはじめ数多くの弟子に受け継がれた。独立した者も多く、その後継者はいまも地元の製造業の基盤を支えている。
History
当社は2020年1月に創業100年を迎えました。
創業以来、世代を超えた一世紀近く引き継がれてきたのは、職人としてのたゆまぬ探求心と高い技術力です。
困難な加工を克服したときの喜びを求めて、私たちは今日も真剣な眼差しで製品と向き合っています。
中川興吉が長男・興市と共に金沢市茨木町で創業。興吉の技術は興市をはじめ数多くの弟子に受け継がれた。独立した者も多く、その後継者はいまも地元の製造業の基盤を支えている。
創業の地である茨木町から長町七番町を経て、木揚場(現元菊町)に移転。この頃、興市に代替わりした。
旋盤加工の修行を行い、機械加工に事業転換を図った興市は、新しいもの好きで最新工具を揃えていたため、取引先から借りに来る者も多く工場はいつも技術談義で賑やかだったという。
「お客さんの満足いく仕事をすることが一番大事」職人気質だった興市の口癖は、今も脈々と受け継がれている。
終戦後は部品加工だけでなく織機メーカーとしてかなりの台数を出荷。しかし、戦後のインフレの影響を受けて断念。念願のメーカー転身は挫折し、弟子を抱える余裕もないほど苦難の時代を迎えた。
北陸地方の工作機械メーカーなどの下請け工場として事業を展開。高い精度が求められる工作機械の親ネジやシャフト加工を引き受け、技術力の高さが評価されていた。
病床に伏す父・興市に変わり、地元の大手建設会社で働いていた三男・博が中川鉄工所を継ぐ。
興市は長尺加工への特化を強く勧め、当時としては画期的な4メートルの旋盤を導入した。
取引先の絞り込みも功を奏し事業は順調に拡大。金沢市の示野工業団地に工場を新築移転した。6メートル長尺旋盤を導入するなど設備拡充にも取組み「中川は長尺物に強い」という評価が定着した。
この頃、NC旋盤などの自動機器を導入。世代交代を進め、新卒者の基礎技能の習得にも力を注いだ。
平成不況の中、社屋工場を新築移転。「従業員が気持ち良くやりがいを持って働けるよう鉄工所のイメージを一掃、どこにも負けないきれいな工場を建てたい」という中川博社長の強い気持ちを実現した。
10メートル級の超長尺加工技術を確立。高い技術と品質が認められ、船舶用スクリューシャフトや試験機部品など幅広い受注に繋がった。また、従業員の若さも相まって将来性も大いに期待された。
2006年の工場増築を機に、CNC14m長尺旋盤、CNC横中ぐり盤、五面加工機と立て続けに設備を増強。免震装置や半導体装置の組立など一貫生産体制も構築した。
宇宙・航空分野やポンプ、遠心分離機などで使用される難削材料の加工に着手。ニッチトップ育成企業として県の認定を受けると共に、金沢工業大学や県工業試験場との産官学連携で切削技能の研究開発も手掛けた。
2019年、博の次女・幾美子が4代目社長に就任。先代が遺した信頼と卓越した技術力を糧に、全社一丸となり新たな時代を築き上げる決意を固めている。